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日々の破片

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2017-11-03

_ ギークはパラノかそれともスキゾか

唐突に自分はスキゾキッズの成れの果てであるというテーゼが壁のように目の前にそびえ立っていることに気づいた。

でも待て、おれはコンピュータとプログラミングが大好きで(ハッカーと名乗るのはおこまがしいのでギークとしておく)、そればっかりでも全然平気な人間で、でもそれってパラノじゃないかな?

いや、そこがクラインの壺というタコ壺たるゆえんのものではなかろうか。

だって、1年前のプログラミングと3年前のプログラミングと3.2年前のプログラミングと5年前のプログラミングって、全然違う。同じことばっかりやっているように見えて、その実、常に四方八方に飛び回っているのだ。ていうか、それがギークじゃん。

なんてことを、スキゾキッズで検索したら出てきたスキゾ・キッズ(浅田彰)を読んで、そうそうそうだよな、と首肯しながら考えるのであった。

むろん、それは最終的な到達点といったものではない。腰を落ち着けたが最後、そこは新たな《内部》となってしまうだろう。常に外へ出続けるというプロセス。それこそが重要なのである。憑かれたように一方向に邁進し続ける近代の運動過程がパラノイアックな競争であるのに対し、そのようなプロセスはスキゾフレニックな逃走であると言うことができるだろう。このスキゾ・プロセスの中ではじめて、差異は運動エネルギーの源泉として利用されることをやめ、差異として肯定され享受されることになる。そして、言うまでもなく、差異を差異として肯定し享受することこそが、真の意味における遊戯にほかならないのだ。第二の教室にいる子供たちが目指すべきは、決して第一の教室ではなく、スキゾ・キッズのプレイグラウンドとしての、動く砂の王国なのである。

(引用の引用だ)

なぜ、ギークなおれたちが多様性を重んじるかといえば、それはスキゾキッズの成れの果てだからだ。


2017-11-04

_ パリのドンカルロ

子供がガランチャのエボリンは最高だから一緒に観ようというので、テレビにPCをつないで、パリのドンカルロを観た。カウフマンがドンカルロで、無駄なイケメンなわけだが、なんか最近はえらくカウフマンの歌に説得力を感じてしまっていて、顔に似合わない小汚いテノール(おれの理想のテノールは、軽さであれはステファーノだし、力強さであればデルモナコだし、器用さと声質ならホセカレーラスなのだ)と嫌っていたのがウソのようだ(パルジファルが素晴らしかったからだと思う)。

ロドリーゴというかポーザ候がテジエで、これが素晴らしい。素晴らしいのだが、服と体型と髪型と顔の輪郭が(時期的にやたらと露出が多かった)枝野にしか見えなくて、フランドルの自由と日本の自由がだぶついたりして妙な感じ。

意外に素晴らしいのがヨンチェヴァで、まっすぐに通る硬質なソプラノで、最後まで絶叫にもふるふるにもならなくて、こんな良い(というか好みの)歌手だったのかと驚く。

というか、全部素晴らしい(皇帝だけはいまひとつ印象が薄いアブドラザコフ。とはいっても、宗教裁判長のブロセルスキとのバス2重唱とかすごいわけだが)。フィリップジョルダンの指揮は良くわからなかった(歌手たちがすごすぎてあまり交響的な聴き方ができないからだ)。

ガランチャがやたらとタバコをふかしまくるのが、フランスというかヨーロッパの大人の文化っぽい。

演出は妙な時代空間にしている。侍女たちが全員フェンシングの恰好をしていて、白い中にガランチャだけが真っ黒とか、なんなんだろう?

・最初子供がガランチャがTwitterに張ったリンクを見始める。

・PCで検索したり、arte.tvのトップからリンクをたどると、お前の国では見せないが出てくる。

・しょうがないから、最初HTCのスマホをクロームキャストしてTwitterのリンクからTwitterの内蔵ブラウザーで見ていた。

・PCからTwitterでたどればいいじゃんと気づく。

・ガランチャのリンクが変えられていて見られないリンクとなっている(と最初思った)。

・待てよ、と考える。別にIPフィルタリングとかしているわけでも、ブラウザーのlangを見ているわけでもな(くはな)いことに気づく。Twitterの内蔵ブラウザーのバグというかいい加減なリクエストヘッダがこの場合はうまく機能していただけじゃん

・というわけで、今ではPCで普通に観ているというか聴いている。

Don Carlos à l'Opéra de Paris


2017-11-05

_ 松濤のアニマルハウスへ

家族で松濤美術館へ出向く(その前に汐留で飯を食った。花山椒という店。名前から四川料理だと勝手に思っていたら懐石だった。汐留の東側が良く見える席で、カレッタの階段とか、鳥の巣のような屋上広告の骨だけとか、楽しいが、すべてをぶち壊す生涯学習の字。フォントに凝れば悪くはないのだが。京菜の味覚に驚いたり、小豆の甘さがおいしかったり、炊き物がおいしかったが(京菜がこれだったはず)なんだっけな。これは精進料理だった。お造りは鯛(これは良い。おいしい鯛は実においしい。これは醤油)と鰆(こちらはポン酢かな)。妻がポン酢とパンチは語源はいっしょでインドのポンなんとかというレモンにハチミツを入れた飲み物のことだというから、さてはイギリス経由で明治に伝わったのかと思ったら、江戸時代に流行ったという。東インド会社はイギリスだけではなくオランダにもあったな、と思い出して、一方のパンチのほうはイギリス-アメリカから伝来したのかなぁとか考える。イギリスもオランダもどちらも反カソリックだな、というところから先日読んだサピエンス全史まで思いが飛んだり、いろいろ飯食ってもおもしろい)。

パーキングは松濤だけに中途半端に高いが(12分200円とか、だいたい1時間で1000円なので駅から遠い住宅街としては高い)、まあいいやと適当なところに入れたら隣が立憲民主の宣伝カーで、ちゃんとコインパーキングに停めるんだなと思ったりした。

で、で区民用料金を払って中に入るといきなりでっかな熊がいて、売店の前にはでっかなトラ(とか書いているが間違いかも。これだけ写真撮影OK)、窓の向こうには小さなクマがこちらを見ていて、階段を降りようとするとクマ(ウサギかも)とか、三沢厚彦ならではの、でっかくてぱっと見かわいいが、どうも目に悪意があるような気がしないでもない動物がいっぱい。他に3~4人の仲間たちの作品がある。

うろ覚えだが、彫刻家の本棚みたいな名前の作品が印象的。男と女、何やら色々置いてあり、下にはネズミ(じゃなくて麝香ネコかも)。

それにしても、印象は強いのに、ずいぶん、細部は忘れてしまうものだ(いや、細部の印象は残っているのに、全体を忘れているのかも)。

2階は作っている最中か作ったあとに壊れたかした様相のオカピとか、くつろげる居間ということになっている。それにしても、クエイ兄弟のときも感じたが、松濤美術館の2階は実に良い空間だなぁ。

エレベータ前の椅子に座っていると、3歳児くらいの子供を連れた夫婦ものが来た。ひげの父親が子供に、居間へ続く入り口の脇のでっかなパンダを指さして、ほらパンダさん、というと、子供、しげしげとパンダを眺めていきなり、ドーンと言いながらジャンプして足踏み。四股みたいだな、パンダと向き合ったら相撲を連想したのかなと思いながら見ていると、そのまま実に楽しそうに居間のほうへ進んでいった。美術館って、こうでなきゃなぁとなんだか気分が良い。

部分部分に実演コーナーがあって、特定時間には芸術家本人たちが座って観客の目の前で製作するらしいが、時間の折り合いが良くなかったらしく、常に空白の座布団だったが、それはそれで悪い光景ではなく、結局、えらく楽しめた。


2017-11-18

_ 素のWSL(Ubuntu)でrails

bundle installでばんばんエラーになる。

それはそうか。

以下が必要(apt-get install sqlite、apt-get install rubyと、apt-get install ruby-bundlerは当然してあるものとする)。

apt-get install make

apt-get install gcc

apt-get install ruby-dev

apt-get install libz-dev

apt-get install libpq-dev (なんかすごくたくさんインストールするが、これなんだ? と思ったらPostgreSQLの開発パッケージか)

nokogiriの作成にえらく時間がかかって閉口しているので待っている間にこのメモ書いた。

追加:nodejsも入れておく必要がありそう(you may need to add a javascript runtime to your ...とか出てきた)

さらに追加:たまたま試そうとしたRailsアプリケーションがPostgreSQLを使っていたので、libpqが必要だったわけだが、当然PostgreSQLが入っていないのでこれも必要。

apt-get install postgresql

で、

/etc/init.d/postgresql start

したら、rollが無いと言われる。

しょうがないので、

sudo su - postgres (su 2段重ねするのはpostgresのパスワードがわからないからだが)して、createuser --createdb oreore (最初--createdbを忘れてrake db:createで怒られたので、dropuser oreoreからやり直した)

今度はencodingで怒る。もう、既定でutf-8にしといてくれよ。

しょうがないのでpsqlで入って、検索して見つけたPostgreSQLテンプレートのUTF8化をスクリプトで行うを参考にして、2度とやる気はないのでスクリプトコピペではなくSQLコピペでtemplate1をutf-8化して、後は万事快調。

万事快調 [HDマスター] [DVD](イヴ・モンタン)

_ メトライブビューイングのノルマ

ノルマを観に東劇。

指揮のカルロリッツィというふくよかなヒゲのおじさんがなんか、カンザスで魔法を売っていそうな山師っぽくなんだかなぁと思っていたら、とてつもなく優雅な指揮棒遣いを見せていきなりびっくりする。指揮棒を使ってここまで優雅な動きが出てくるとは。というよりも、こういう指揮スタイルはイメージの中の指揮者であって、実際には初めて見るかも知れない。

というわけで序曲がすばらしい名演のように思うのだが、考えてみたら、カラスやバルトリのCDは持っていてもまともに聞いたことない(ベルカントはあまり好きではない)ので比較してどうこう言えるほど知っている曲ではなかった。

始まるや、まったく物語を知らないことに気づく。

ガリアの森の中、ガリアの民はドルイドを信仰しているが、カエサルが残した都督(なんと呼んでいたか忘れたが、明らかにこの役回りは都督だ)はヴィーナスやらなにやらローマの神を信じていて、ドルイドを野蛮なものとしている。異教徒がどうのと都督が言い出すので、紀元前なのにキリスト教対ドルイドなのかと思ったが、いくらオペラでもそこまでデタラメではなかった。

演出はマクヴィカーだが、ロンドンのセクシャルなマクヴィカーでも新国立での異様にエロティックなマクヴィカーでもなく、メトならではの奇麗なマクヴィカー(ただし森の中の暗鬱さ加味)。

最初メゾのアダルジーザをガランチャが歌っているのだとばかり思っていたのに、金髪ではあるもののやたら周りに比べて背が低いのでよほどノッポが君臨するガリア地方とか不思議になっていたら、歌い出してディドナートかそりゃそうかと納得した。

ラドヴァノフスキーのノルマはベルカントオペラだしこんなものかなという感じで、それほど好きな声や歌ではないが、悪いものではない。

テノールの都督役のカレーヤ(結構良く観ているはずだがあまり大した印象はない)は良かった(が、またしばらくすると印象が消えてなくなりそうではある)。追記:びっくりするほど良い声とか驚いているのに忘れてるくらいだ。

知らなかったとは言え、浮気な男と好色な女とその間で無理心中させられそうになる子供の家族関係が主となり、そこに若い田舎娘が都会から来た権力者に都会で暮らそうと持ち掛けられて恩義がある上長と恋がもつれる話とはまったく思ってもいなかった。どうも巫女とか権力争いとかからエレクトラやカサンドラのギリシャのほうの物語のようなものだと想像していたらしい。

とりあえず楽しめたし、リッツィの優雅な指揮が観られたのは儲けものだった。


2017-11-19

_ 新国立劇場の椿姫

椿姫かぁ(大して見たくもないし)と思いながらも、新国立劇場に金を払うのは国民の義務だと考えて新国立劇場。

さすがにB席なわけだが、ふと見ると2階1列と書いてあって、2階1列というのはS席ではなかったか? と不思議になる。

が、なんのことはなく袖の延長線上にある位置だった(が、実は相当見やすく音も悪くない、超お得席だった)。

1幕はほとんど捨てて見ていたのだが、センプレリベラだけはまじめに観た。と、ルングが両手を広げてピアノのほうへ向かって走る。振り付けは最高じゃんと思って観ているのだが、ルングの声は複数の音が同時に出て来るタイプでふるふるしたり絶叫にはならないものの、あまり好みではない。とは言え、スリムで美人のヴィオレッタだから悪くはない。センプレリベラのラストも決まりに決まって素晴らしい。

が、2幕になってまじめに観始めた。

特に代役で出演となったメオーニという人のジェルモンが抜群だ。良く通る声で、ここまで意志が見えて説得力があるジェルモンは初めて観た。聴いたのレベルでもハンプトンなんかより遥かに良い。ルングは演技が良いなぁ(振り付けが良いなぁ)。この演出(ヴァンサンプサール)で2回目(1回目)だが、今回はプロジェクションマッピング(多分)を使いまくってその代わりリアルな道具を最小にしているようだが、これも実に良い。ポーリは1回ラストでしくったところがあったが、2曲目の貧乏と戦う歌とか見事なものだ。

いずれにしても、2幕はメオーニが良すぎる。

で、気づくが、指揮のフリッツァもこのバラバラに歌がつながっているだけのオペラを実にうまく繋ぎ合わせている。なんか、とても良いプロダクションのような気がする。

続く3幕。合唱は実に良い。そういえば、フリッツァがわがまま言う(ナブッコのセットの構成から無茶な音量を要求だか)から文句を言ったと三浦が書いていたが、そういうこともあってか、なんか合唱と交響がうまく噛み合っているように思う。雨が降ったら地が固まるの原理みたいだ。

そして4幕。ルングの声が違う。死にかけのヴィオレッタの弱々しい声なのか音量は明らかに小さくなっているのに素晴らしく通る。1〜2幕のバリがある声とは全然違って実に澄んだ伸びる声に感じる。これも表現力なのかなぁ。すごい歌手なんじゃなかろうか。

演出は残酷なすべての和解はヴィオレッタの譫妄(紗幕の向こうにナンネッタもジェルモン父子もいる)で、血を吐き(いや赤い布にくるんだ写真だが、白いベッドの上に広げたそれは喀血以外の何者でもない)赤に包まれて直立して死ぬ。歌はますます研ぎ澄まされる(1箇所しくじったのが残念)。

なんか、とても良いものを観られて満足しまくった。こんな良いものなら、1幕から真剣に観れば良かった。おれは間違っていた。


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