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日々の破片

著作一覧

2016-01-03

_ パン屋さんの本を読んだ

妻が正月中に読むつもりで借りて来たらしい『ネットのパン屋で成功しました』という本がテーブルの上に置いてあって何気なく手に取って読んでみたらなかなかおもしろい。というわけで読了。とてもおもしろかった。

この本はすごくお勧めしたい。ここまでケーススタディとして起業と経営課題とビジネス戦略とお金の回し方について、わかりやすく卑近な例(創業資本金600万円らしい町のパン屋さん)を元に書いたものは無いと思う。

高校時代に近所のパン屋でアルバイトしていろいろ問題点を見ていろいろ考えて、その後短大に進んで就職。1回転職した先が倒産しそうになったので、やめてパン屋を作って苦労したけど成功しました、というのがストーリーだが、それは全くどうでも良い。

まず、本人が書いたのか、本人のメモか何かをゴーストライターがまとめたのかはわからないが、パン屋を始めてからのパート(全体の5/6くらい)が、

・パン屋一般の経営課題 

・私はこう考える 

・ルセット(この人のパン屋)はこうやった

という形式で書いてある。

こういう形式で書けるということは、まともにものを考える人だ(したがって、本としてまとめたのが編集者かゴーストかはどうでも良い)。

その課題はそりゃそうだろうというものから、なるほどパン屋を取り巻く環境はなかなか厳しいものなのだなぁと興味津々までいろいろある。こうやったの部で、なんでそうなるの? と不思議に感じたのは、耐久性やサイズの問題から家庭用パン窯は使えないというのに、家庭用電気パン窯を導入したというところで、ここだけは混乱して2回読み返した。家庭用というのは単なる修飾子であって、重要なのはサイズ(大量に焼けなければ効率が悪い)と耐久性(毎日2~3回利用する)で、それがクリアできるのであれば家庭用かどうかは問題ではなかったのだった(それに2基設置したとあるし)。

もう1点は手荒れの問題と衛生的な見た目の問題で、「こうやった」のところに薄い手袋をしているというのが出ていて(5行のうち4行読むモードで読んでいたから、何か要点をすっ飛ばしたかと思った)ここも論旨を読み直す必要があった。要は、オープンキッチン方式(これは後で出てくる)ということと、素手でも高温で焼くので衛生問題はまったくなくむしろパン生地の加減を見るのは素手のほうが良いというのと、知人の「パン屋が素手で生地をいじくりまくっているのは気持ち悪い」という妄言(とは言え、そういう見方もあるという情報ではある)と、手荒れがすさまじいという話とから、導かれた結果らしくて、なるほどとは思った(手袋をいろいろ変えて試して最後はブランドが指定されていてちょっとおもしろい)。

出資者の話も興味深いし、内装施工業者の話もなかなかおもしろい。

高校時代のエピソードからして、パンが作りたいわーというような人ではなくて、何か突然変異的に批評眼と起業家精神を持ってビジネスセンスを磨いてきた人が、理想の(つまり、おいしくて、高価格を維持可能で、つまり儲けをきちんと出して、それによってさらに開発が可能で、したがっておいしくて、高価格を維持可能で……という上昇スパイラルを描ける)パン屋をどうやって軌道に乗せたかという内容だった。

この本の中心コンセプトにありそうな一文が、内装と見てくれがどれだけ重要か、について書いているところだ。モノが良ければ売場の見てくれはどうでも良いとかぬかす人は、表参道のルイヴィトンの店を見てみろ、世界最高と誰でも知っているカバン屋が、店の見てくれのためにどれだけ力を入れているか知ってからものを言えとか、まあ、確かにそれはそうだ。アップルもそうだな。

ネットショップ(なるほど、まずシズル感がいきなりあるぞ)

ネットのパン屋で成功しました(田中 明子)

アマゾン評はこの本のどこを読んだのだ? と不思議になるようなものばかりで、それはそれで興味深い。というか、おれが先入見抜きに読んだのが良かったのかな。(追記:2003年にこの本が出た後に、類書がいくつか出ていて、それらが押しなべて評価が悪くないのを見ると、パン屋起業をしたい一定の需要があるようだ。で、この本の内容はパン屋を起業するにはまったく参考にならないということで評価が低いようだ。それならわかる。著者はパン屋の経営をどうすれば失敗しないか(成功させるために努力できるか)についてはいろいろ書いているが、美味しいパンを焼く方法にはまったく触れていない。そこは大前提過ぎてどうでも良いからだろう)


2016-01-09

_ 新春座談会 このコンピュータ書がすごい

池袋ジュンク堂に行く。

帰り、同じく緑の不織布のバッグを持ったogijun(彼は裏がMで表がJの紙袋も持っていた)と、入場料が高い(=緑の不織布のバッグを持つ羽目になる)という話になるというか、そのためのイベントなんだからみんな買えよとは思う。

会場がある4Fは人文書フロアで、普通におもしろそうな本が山ほどある。

先日、家族で、アフリカの言語の話になり、おれが南はがスワヒリ語、北はアラビア語と言ったところ(後で調べたら南はバンツー語で、それが北のほうのスワヒリ語と南の方のズールー語に別れていて、中央にはニジェール・コンゴ語という別物があることを知ったが、そのときはそう覚えていた)、子供からごちゃごちゃ民族が分かれて紛争しているのに、なんでそれっぽっちしか言語がないのか? という鋭いツッコミを膝に受けて考え込んでしまった。

そもそもごちゃごちゃ民族が分かれてというのが、分割して統治せよの18~20世紀中ごろまでの遺物なのではないか?

というのはすぐに気づいたが(フツ族とツチ族の対立はそもそも宗主国が都市官僚用民族と農民用民族に恣意的に分割して対立を煽ったことから生じたというのは、ルワンダ銀行のやつで読んで知っている)、とは言え、言われてみれば不思議ではある。

ルワンダ中央銀行総裁日記 [増補版] (中公新書)(服部正也)

それでアフリカについてのコーナーでいろいろぱらぱらしていたら、現代アフリカの社会変動という本に言語のことがいろいろ書いてあったので買って、待ち時間に読んだ。

現代アフリカの社会変動―ことばと文化の動態観察(正興, 宮本)

大雑把には3層構造になっていて、東側では統治言語としての英語、貿易通商宣教言語のスワヒリ語、その下に各民族のいろいろな言語(といっても緩やかに方言的につながっている)と書いてあって、なるほど、そういう仕組みだったのかと思った。日本語だと2層構造で標準語と地方語になっているようなものだが、その上に英語があるのが違う(待て、21世紀の日本だと既にアフリカと同じく3層構造かも)。

で、とりあえず高橋さんの圏外紹介で特におもしろそうだったspamなどを追加で購入。

スパム[spam]:インターネットのダークサイド(フィン・ブラントン)

終った後の懇親会みたいなやつで、良く知らない人たちと話していて実は座談会とは関係なく他にも出版社の人が来ていた(ソーテックと工作社の人とは話した)、なるほどそういう場なのかとちょっとおもしろかった。


2016-01-11

_ ボウイが死んだ

ある時期まで、ボウイの音楽はそのときから聴きはじめればOKなアーティストの代表だった。それは間違いない。

僕が最初に聴いたのは(いや買ったのは)ロジャーで、ちょうど中途半端な時期だったかも知れないけれど、素晴らしき航海のイントロは今聴いてもぐっとくるものがある(いつもアルバムの最初の曲のイントロが素晴らしいのだ)。

(でも、多分、、もっと前に夜の番組でヤングアメリカンを歌うのは見ていた記憶があるのだが、そのころは正直興味なかった)

ロジャー(デヴィッド・ボウイ)

アフリカンナイトフライトは、おそらくイーノなのではないだろうか(この路線がイジンブラ経由でリメインライトになるのではないかと思ったものだ)。ムーヴオンはいつもの(と後に知ることになる)テーマ、しかし一番好きなのは怒りをこめて振り返れだった。このころからMTVが出て来たのか、あまりうまいとは思えない天使の画をかくにつれて顔が崩れて行くイメージにはそれほど感心しなかった。

で、すぐにスケアリーモンスターズが出て、当然のようにアッシュズトゥアッシュズは最も好きな曲の1つとなった。メイジャートムに合うためにスペースオディティを買い、hearがhereに重なり頭の中ではウルトラQのこちらはカモメのラストと重なったりする。

キングダムカムの出来が素晴らしく、そこからさかのぼってトムヴァーレインのテレヴィジョンを聴いて見れば、こちらもこちらで好きだったりした。

ヒーローズは鍬田ジャケットの通りにモノクロームな感じでこれっぽっちも好きではなかったが、ロウはとても気に入った。特にいつも同じ車がクラッシュするのは、そのままJGバラードのクラッシュとつながった。それからずいぶんしてクローネンバーグのクラッシュを見てから思い出して頻繁に聞き直すことになった。

このころにはおそらくベスト盤を買っていたような気がする(ジャケットの裏側が気持ち悪いのでハンキードリーを買わなかったのは覚えているが、ウォームジェッツの似たような気持ち悪さは勘弁してやったのだから、おそらくダイアモンドの犬の前後はそれほど気に入らなかったのだろう。今は少し好みが変わった)。火星に生物はいるのか? はえらく気に入ったし、チェチェチェンジス、アラジンセイン、シーエミリープレイあたりはオールタイムフェイバリットだ。ジギーはアルバムを買ったし、時がタバコを吸うのは良く知っている。

レッツダンスがおそろしいほどヒットした。

ユーロスペースでユービックのワークショップがあったとき、たしか最終日の打ち上げだと思うがIRCAMから来ていた技術者に女の子がIf you say run, I'll run with youと歌いかけていたのがえらく印象的で今でも思い出す。

it's too lateが一番好きだとクリスチアーネFが書いている本を読み、赤いジャケットを着たボウイがライブ映像で出演している映画を観た。

クリスチーネ・F [DVD](ナーチャ・ブルンクホルスト)

レオスカラックスがモダンラブでえらい長回しをして、友人の永野くんがおれはリコシェが一番好きだと言っていていろいろな趣味があるなぁと思ったりもした。

汚れた血<HDニューマスター版> [Blu-ray](ドニ・ラヴァン)

シリアスムーンライトツアーがあり、武道館に行った。でも思い出すのは、ワンフレーズだけ「Ziggy plays the gitar」と歌ったことだけだ。エイドリアンブリューはかっこ良かった(オリジナルのギタリストはギャラでもめてツアーには出なかったのだ)。

ラヴィングエイリアンの暗い色調は好きだが、ブルージーンもトゥナイトもあまり好きではなく、どうやら時代が追い越したのだなと感じるようになった。Time may change me。

またレオスカラックスでポンヌフの恋人を観るとタイムウィルクロールと歌う声が聴こえるがもううんざりだ。

ポンヌフの恋人<HDニューマスター版> [Blu-ray](ドニ・ラヴァン)

友人が来て、ヤングアメリカンが一番好きだと言い出す。言われてベストには入っていてもろくに聞いていなかったヤングアメリカンを聴くと声に艶があって、確かに素晴らしい。

このころ、中島らもが朝日新聞の夕刊にかねてつの2面広告を担当していて、離婚の直前のある日、1人でWild is the windを聴いていたらその曲を聴くといつもやるように妻がやってきて何も言わずに横に座って一緒に聴いていた。というやたらと感傷的な一文があり、何かよくない暗示にかかってはまずかろうとすっかり聴かなくなった。

飛行機に乗ってアトランタへ出かける。機内のイヤホンで音楽チャンネルを何気なく聴いていると飛び降りろという声が聴こえてきて思い出す。

Black Tie White Noise(Bowie, David)

良い。

が、続くアウトサイドでやっぱりゴミのようだと感じてそのまま忘れ去る。

時がたち、ふと渋谷のHMVで3Dジャケットを見てアワーズを買ってしまい、出だしの深みのある音に、ああ、そうだアルバムの1曲目のイントロはいつだって素晴らしいのだと聞き惚れる。そうだ父や母が何を言ったかも忘れたのだった。それでまた追っかけるようになった。

5.15には天使が去って行ったし、犬爆弾を月に落としてやったりしたけど、ウォータールー駅を眺める外はチリチリ寒い。

しばらくしてジョンライドンの本を読んでいたらボウイが息子がファンだからサインしろと楽屋に来たので追っ払ったとか書いていて、何してるんだろう? とか思っていると、久々のベルトリッチで若い頃の素晴らしい歌声を聴きまた思い出す。

また、アワーズの頃のような深みのある音で始まっておれの嫌いなベルリンのに×が付いていたりする。

今頃は、フレディーが叩き起こされて新入りと一緒に歌えと言われていることだろう。なかなかのプレッシャーだ。


2016-01-15

_ C#の謎仕様

C#の仕様でなんでこういう仕様を入れたのだろう? と不思議になるのが識別子の@プリフィクスだ。

@をつけるとキーワードを識別子として利用できる。

確かに、rubyでkalssという変数名を見るとうーんと思わないでもないのだが、でもそこまでしてキーワードを使いたいものかなぁ。

class @class
{
   internal Type @typeof { get; set; }
   static void Main()
   {
       var @class = new @class();
       @class.@typeof = typeof(@class);
       Console.WriteLine(@class.@typeof); // => A+class
   }
}
本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ 宮川 拓 [他の.NET言語のプログラムとの互換性のためではないでしょうか。たとえば、F#で作られた「this」という名前の関数..]

_ arton [おおなるほど。それは相当納得が行きます(でも、上の@classのNameがA+classになっているところをみると、..]


2016-01-20

_ ルル

東劇でメトライブビューイングのルル。

これはすごかった。

ウィリアム・ケントリッジのプロジェクション使いまくり(墨痕あざやかに裸を示せば顔も示す)によるイメージの奔流の中で、すさまじく芸達者なマルリース・ペーターセン(ルル)やらシェーン博士(ヨハンロイター。斬り裂きジャックの二役)に、スーザングラハムのどれだけ尽くしてもまったく報われない令嬢と、髪型がどうみてもベルク(と思ったら、幕間インタビューで、実際にベルク自身の分身ということになっている役なので、あえてそういう髪型にしたのだろう)なアルヴァが悶えまくる。

ピアニストとまるで映画泥棒のカメラ男みたいな動きの二人のパントマイマーが常に動かす。ピアニストは3幕ではルルより先に街角に立つ(途中いなくなったと思ったら、カーテンコールでピアノの中から出てきて驚いた)。幕が開くかわりに、カメラ男が壁を横にずらして幕が始まる。

ケーニクスという妙ににこにこした丸顔の指揮者がくっきりとした指揮で(レヴァインの代役らしいが)これも良い。

フラウユンク社の株式というのが3幕の1場で上がったり下がったりして場にいる全員が破産するが、若い女性という意味なのかな?(あまりに物語そのものだ)。

ヴォツェックに比べて長すぎるし未完の補作ということであまりちゃんと聞いていなかったが、むしろ音楽ははるかにヴォツェックよりも良い。システムがあったほうがかっちりと書ける作曲家なのだな(と、ちょっと意外感がある)。

脚本がまた素晴らしい。ルルというのはヨーロッパなのだ。もうひとつのさようなら世界夫人だ。

近代フィルムセンターでルイーズブルックスのルルを観たことはあるが、舞台のルルはこれが全編としては初めてで、とにかく素晴らしかった。

Berg: Lulu [DVD] [Import](Patricia Petibon )


2016-01-21

_ エクゾスカル零まとめ読み

妹がえらく以前に貸してくれてあったエクゾスカル零を読んだ。時期が良くなくてずっと放置していたものだ。

舞台はえらい未来。覚悟のススメの葉隠覚悟はじめとした7人の戦士たちはその時が来るまで冷凍睡眠させられていた。(どうも、騒乱の時代が去ると時の為政者によって、あまりに力があるというか牙があり過ぎるので眠らされるらしい。そういうのが7回繰り返されたということのようだが、ちょっとそうなると現人鬼はどうなるという不思議もあるけど、まあそういうフレームワーク)

覚悟は最後に覚醒した7人目で、もちろん人がまともにいないので驚くのだが、さらに人を食う化け物を目にして早速戦闘に入る。そこに、別の戦士が登場する。獅子のような強化外骨格をまとった男だ。彼はその化け物を守護している。なぜなら、それがその時代の人類だからだ。人類を守ることこそ零式防衛術ではないか。なるほど正義は1つではなかった。では戦闘だ。かくして7人のそれぞれ異なる零式防衛術、強化外骨格、正義(と、途中でうやむやになる罪)を持った超人たちのスーパーバトルが幕を開ける。

という異様なシチュエーションで、しかしあまり後先考えずにシチュエーションを用意して後はノリと時代の流行りで流して行こうと作者は考えたらしく、物語はあっちやこっちへ飛びまくる。7人の戦士が離合集散しながらまったく未来がない人類のために正義を空回りさせることになる。

元々の作品コンセプトでは7つの強化外骨格戦士に、それぞれ7つの大罪の1つを背負わせると発想したらしいのだが、5つ目までは数えたものの(途中まで本の見返しに登場人物と背負った罪が書いてある)、6と7が曖昧になってしまって尻つぼみだ。

で苦しくなってきたのか大人な戦士を出してきて人類へダメ出し(どうやっても人類は救えない)をして、ちょっと話が暗くなり過ぎたと感じたのか、生き残った人類(というか少年少女が)たくましく生き抜くちょっと良いエピソードっぽいところに7番目の戦士を出してきて、と思いきや、蠅の王というか、古くは白戸三平の影丸伝の子供の村のような(無風道人が作ったやつ)顛末をたどり、まあ、どうにもならずに終末へひた走る。

ふざけたセリフ回しや戦闘描写は相変わらず圧倒的な力量で楽しめる。

が、最後はやはりそれは違うのだろうな。解説で本人が肯定しているから本気で7番目の戦士が覚悟に勝ったと考えているようだが、残念なことにコロニーに薬を置いて来たら、誰か一人が発病した時点で残ったすべての人間に絶望を与えるのだから最悪だ。しょせん子供の浅知恵で、覚悟の直感が正しい。

と、物語としては致命的にだめな終わり方をしているが、そこは強化外骨格と零式防衛術と時代がかったセリフがあればそれだけでおもしろい山口マンガなので楽しめた。

[まとめ買い] エクゾスカル零(山口貴由)


2016-01-24

_ 新国立劇場の魔笛

オール日本人キャスト(指揮と演出除く)の魔笛。

序曲が始まるとテンポの快調さが素晴らしい。

舞台も美術も衣裳も実に良くできていて(特に3人の童子のが好きだ)、夜の女王は最初ちょっと固いなぁと思ったもののコロコロコロしているし、タミーノにえらく感心して(というのは、これまで誰が歌おうが絵姿の歌とか退屈でいたたまれなかったのだが、なんかすごくおもしろく聴けた)、とても良かった。

ザラストロがやたらと説得力があるせいか、(それ以前にタミーノに説得力があるから、神殿の前に来て、ここはまともな人が建てた建物で、つまりまともな人たちの集う場所だというようなことをひとりごちるのだが、それが効いているような気もする)、今まで観たどの演出よりも、ザラストロの一味が正義に見えた。

パパゲーノはそれに比べると悪くないのだが、今一つ。パパパの出だしがどうもそれほど嬉しくなさそうだったりするのは、まあとちったのかも知れないが、要所要所で、マクヴィカー演出のキンリーサイドのような妙なポーズを取るのが、どうにも演出にも衣装にも合わなくて妙だった(ちゃんと停まらないからかな?)。

モーツァルト:歌劇《魔笛》英国ロイヤル・オペラ2003 [DVD](コリン・デイヴィス指揮)

(密猟者みたいなかっこうで鳥の帽子を被った薄汚れた中年男が唐突に妙なポーズを取るからおかしみがあるのではなかろうか)


2016-01-28

_ 統合されていれば便利だが罠もある

githubが朝から落ちているらしく、結構悲鳴を見かける。

するとかずさんのツィートが目についた。

だよなぁと思って、RTして適当に聞いてみたら、イシューが見えなくなるのが困るということを教えて頂いた。

自分の使い方がそれなりに便利なSCMだから、そっちばかりに目が向いていたわけだが、それは(レポジトリのクローンが手元にもあれば、よそにもあるからサーバーが落ちていてもそれほどどうでも良いのは)gitであって、githubではなかった。

GithubはSCM+BTS+PR(これサブシステムとしてはなんだ?)+共有memo(Gist)だというのがでかいのだなと、あらためてgithubの存在感に感心した。

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ yyamano [僕はwikiで困りました。手元にcloneしたwikiはずいぶん更新してなかったので。タイミングによっては、CIとか..]

_ arton [そういえばwikiも付いてますね!]


2016-01-30

_ タワーマンションの変事

友人の家に遊びに行って何気なく外を見たら、そこだけ下界とは色も空気も違うおかしな空間が目についた。

なんだあれ? 新宿にしてはあまりに疎だし、まるでストーンヘンジみたいだ。

すると、あれが武蔵小杉だと教えてくれた。

電車がクロスするようになって、人々がどんどこ湧いて出てきているのだそうだ。

武蔵小杉は知らないものでもない。昔昔ファミリーコンピュータというものが売られ始めたころ、どこにも売っていなくて、車で少しずつ遠くへ向かって行った8番目くらいの田舎町で、でっかでうつろなアーケードがあり、そこに店先にサッカーボールをぶら下げて、ボードゲームやプラモデルやソフビのおもちゃを適当に並べている玩具店があり、店番している婆さんにファミコンあるかと問えば、おおあるある1台だけじゃが残っておるぞ、なんとソフトも3本買わせてやるしいらんといっても買わねば売らぬぞと、言われた場所だ。3本ソフトも買えと言われて、抱き合わせ良くないとは別に言わずにゼビウスとパックマンと2本は当然決まっていたが、残り1つに困って良くわからないバイクレースみたいなのを買ったのだった。で、一番おもしろくて長くやったのはそれだった。

という記憶が蘇った。あと、一度妻が何かのオリーブか何かの記事で見つけたパン屋を訪ねて行ったことがあったが、店構えも味も、今はなき渋谷は道玄坂と東急本店通りをつなぐ小道の名前は忘れたパン屋のほうが20%くらい上の店で、あの頃は暇だったのだなぁとか思い出す。

そんな記憶の場所の武蔵小杉が、ずいぶん奇妙なことになっているのがおもしろい。というか、どう見てもストーンヘンジにしか見えない。

tokyo stone henge

(武蔵小杉タワーマンショニングストーンヘンジ)

ストーンヘンジ:巨石文明の謎を解く (アルケミスト双書)(ロビン・ヒース)

追記:アーケードなんて無いぞとツッコミが入って、変だなぁとか考えて、もしかするとあれは武蔵小山だったかも、と思い直した。


2016-01-31

_ リヴェットもまたみまかれる

リヴェットが死んでしまった。

これで僕が観ることができるヌーヴェルヴァーガーの生き残りはゴダールただ一人だ。

(それはあまりに似合い過ぎている。生き延びることこそ肝要だというサムに献辞を入れた映画の作家だけのことはある)

1980年代の最初の頃、リヴェットは幻の作家で、アテネで王手飛車取りを観ることができたくらいだった。

今となってはゴダールが延々とレコードをかけ続けること以外さっぱり記憶がない短編映画で、まだ1950年代だと思うが、ネーヴェルヴァーグの草創期の雰囲気を伝えるものらしい。が、まったくそういうことは伝わらず、ただただ静止した画が紙芝居のようにうまくつながっている変な映画としか覚えていないし、多分、ロメールの獅子座のパーティーシーンとごっちゃになっていると思う。

というわけで、夜想のヌーヴェルヴァーグ特集を読みながら、はて12時間の映画とはどのようなものだろうか? とか、ビュルオジェとはどのような女優なのだろうか(とはいえ、ラパロマは観ているはずだが)? とかカトリックを激怒させるとはどのような映画なのだろうか? とかいろいろ想像することしかできない。

夜想 (11) 特集 ヌーヴェル・ヴァーグ25(陽一, 国貞)

(バイブルみたいなものだなぁ)

次に観たのは北の橋で、これは1981年制作らしいから1984年くらいではないだろうか。

アテネの大ヌーヴェルヴァーグ展(10本くらいの連続上映会)に入っていたので、おおこれがリヴェットですかと喜び勇んで観に行って仰天した。

英語字幕があったかどうか定かではないし、当時のおれの英語の語彙はフランス語よりちょっと多い程度だったから役には立たず、つまりほぼ音声聴き取りでしか物語の構成情報を得る手段がなく、ということは映像と音楽以外の情報は半分未満程度しか得ることができないという状態にもかかわらず、すさまじくおもしろい。

パスカルオジェ(まだおれは満月の夜は観てないはずで、顔を知っているはずはありえないが、これがパスカルだなというのはすぐわかった。というのは主演女優として映画に映されていたからだ)がバイクに乗って出てきて、メニンブラックに追いかけまわされて、遊園地のジェットコースターの龍と戦い、ビュルオジェと合流する(けど親子としてではないと思うのだがまったくわからない)。カンフー映画のようでありアルファヴィルのように現実世界をそのまま水平に時間軸だけをずらしたSF映画のようであり、目が離せない。が、最後のほうになるとお遊戯になってはて面妖なと狐につままれた(今になって思えば、カサヴェテスのオープニングナイトのラストにも通ずる手法だ)。

映画でありながら演劇的であるというのはどういうことなのだろうか?

唐十郎が恐怖劇場アンバランスの仮面の墓場の上映会(スペースパート3か300人劇場か覚えていない)で説明する。

演劇にはクローズアップがなくすべてが全身だ。目線の演技は顔全体か身体全体を使って向きを変えて表現する。

それをバストショット主体でむしろトーキングヘッズが多くなるテレビでやるとバカに見える。目線が重要だ(20世紀のテレビは最大サイズでも28インチがせいぜいで通常は15インチ程度なのだ)。演劇人は舞台のクセで身振りが大きくなるが、それをテレビでやると異化効果となる。テレビでは動いてはいけない。

だからおれは恐怖劇場アンバランスでは狂気に陥ってから演劇人としての身振りで階段を落ちた。

そこから敷衍して考えると映画であり演劇的であるというのは役者の身振りに示される。

ファスビンダーの記念すべき第1作の不安な魂を観て、演劇人が映画を撮るというのはこういうことなのかと知ったのはもう少し後のことだ。クラフトワークのマンマシーンのジャケットのように斜めに並んだ連中がいっせいに顔の向きを変えるとカメラが切り替わり、向いた方向のシーンとなる。

リヴェットは全然違うようだ。より静止画に近く、それは王手飛車取りで感じたものだ。

というのが、初めてリアルタイムに輸入された四人組で感じたことだ。ユーロスペース。制作が1989年だからすでに1990年代に入っていたのではなかろうか。

ポルトガルから留学してきた女学生をはじめとした4人の女性の共同生活を、ロビンミューラー風な青い静かな映像の中で描いた作品で、すさまじくおもしろかったにも関わらず今となってはほとんど記憶にない。記憶にあるのは、陰謀に巻き込まれた四人組(もちろん、この題に、すでにすさまじく政治的な意図があるのだが、なぜか全然関係ないおしゃれな題(彼女たちの舞台)で公開されたが、舞台というところに意図がありそうではある)が善後策を協議するところで、ポルトガルから来た女性が「私の国(ポルトガル)みたいな独裁国家では普通のことだけど、この国にもあるのねぇ」とかしみじみと言うところだ(もちろん模造記憶の可能性もあるが、この一言がおれのポルトガルへの興味となる)。会話の多用というのは演劇的でもあるが、ロメールのそれとは異なり、全体的にとにかく静止しているのだ。構図は常に正しく、したがって美しい。が、何か映画としては欠落しているものがあるような気もした。

とはいうものの映画として実際おもしろかったし、物語的にも刺激的、映像は(何しろロビンミューラー系なので)おしゃれだからそれなりに人が入ったに違いない。

すぐさま美しき諍い女が今度はぶんか村にかかった。

大ヒットである。

が、おれはこの映画、まったく記憶に残っていない。四人組の印象がその頃は強くて、どうも大きな後退戦のような印象を持ったので記憶することを自然と拒否したのかも知れない。

そしてヒットの余勢を借りてパート3かパルコ劇場かどちらかで大回顧展が行われる。

セリーヌとジュリーは舟でゆくと嵐が丘と地に堕ちた愛だ。北の橋も上演されたような気がする。こんだ日本語字幕があるので物語は読めるだろう。しかし行ったかどうかは覚えていない。北の橋の映像はすでに記憶されているし、仮に観に行ったとしても最初にアテネで観たときに得たものと同じものを得たのだろう。

地に堕ちた愛は階段に続く廊下だけが記憶にある。ジェーンバーキンかな。

セリーヌとジュリーは舟でゆくは本気でおもしろかった。いつまでも観ていたい映画だ。映画の中の映画でこんなおもしろい映画はなかった。(ところが映像記憶がまったくない。クローゼットの中にへたりこんで異界と行き来するような映像が頭の中で結びついているのだがおそらく関係ないと思う)(追記:突然舟に乗った川下りとかバスタブと香水瓶(シャンプーの瓶かも)とかが後から浮かんできた)

つまり嵐が丘が最もすばらしかった。これが嵐が丘だったのか。

嵐が丘 [DVD](リュカ・ベルヴオー)

リヴェットは演劇人だったのだ。筋が通った物語を与えられるとそこに自由に血と肉を与えて世界を構築する。物語が弱いと世界があやふやとなり単なる演技空間だけが残る。そういうことなのだ、と考えた。

やっと修道女も観ることができた。と思う(これについては時期は完全に忘れた)。修道院を脱走するところ、修道院長に呼び出されて通う中庭、ビュルオジェの顔(追記:と書いたものの、どうも黒髪だし変だなと思って記憶内の画をクローズアップしたらアンナカリーナのように見える。多分この映画はアンナカリーナだ)、記憶は随分と残っている。才気が一番走っていたころに不遇な目にあったのだなぁと同情する。

そしてしばらくご無沙汰してパリで隠れん坊をする。

おもしろかったのだが、残念。同じ時に、まったく良く似たパリで若者が右往左往する映画、しかし遥かに大傑作を観たせいで印象がすっ飛んでしまった。

つまりデプレシャンのそして僕は恋をするだ。

デプレシャンは考えてみると、やはり演劇と映画の融合だが、リヴェットより遥かに巧みだ(それはそうだ。学んでいるのだから)。しかも世代が同じせいか遥かに好感も持てる。とにかくおれはデプレシャンが好きだ。

とはいえ、唐突に路上でばったり出会った二人がミュージカルになるところは素敵だった。(追記:パリから故郷かなにかに戻ったところの灰色の四角い建物――病院かな?――の部屋のシーンを後から思い出したけど一体どんな話なんだ? やはり陰謀の話なのだろうか)

そして世代が交代(もちろん本当の世代交代はとっくにジャンユスターシュなどによって図られてはいたのだが、遠く日本で葦の髄から映画を観ているおれにとっては)してさらにしばらくってランジェ公爵夫人を観て瞠目するのだが、嵐が丘と同じだ。バルザックの作品という筋が通った(いやこの話については通っているとは言い難いのだが、それは物語の筋の話で、物語の構成に筋が通った)作品だからこそのおもしろさだ。

と、考えてみると、セリーヌとジュリーこそが奇跡なのだと思い当る。確かに奇跡な奇跡の作品だ。

北の橋 Le Pont du Nord [DVD](ビュル・オジエ)

(これは無茶だけどおもしろかったなぁ。セリーヌとジュリーをもう一度やろうとしたのではなかろうか。で、それはこれが最後になったのではなかろうか)

本日のツッコミ(全2件) [ツッコミを入れる]

_ angora_onion [よく映画を見てるね〜 ヌーヴェルヴァーグはゴダールくらいしか観てないし、フランス映画もあんまり観てないけど、観てみた..]

_ arton [見るならデプレシャン。]


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