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日々の破片

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著作一覧

2007-09-02

_ 植物

妙な生き物だけど、こいつらがいない世界というのは味気ないだろうな。

_ 共通化

「呼出し元の共通化」という言い回し

あ、そういう発想(言い方、説明の仕方)はなかったが、確かに筋が通っている。

_ ネコの目

僕の目はネコの目、暗い夜道にきらりと光る

僕の目はナマコの目、じっと空を見上げてる

……

僕のマナコはナマコのマナコ、駒の独楽が狛に困。

……

全然違った(10年振りくらいにiTunesから流れてきた)。

Memphis(忌野清志郎)

あーきみがすきだーよー

にゃーぎゅうにゅうもすきーごーごー

ついでにおなかもごーろごーろ

_ 故郷の風景

月からはるばる地球にやってきたとして、アリゾナやサンディエゴあたりの砂漠を眺めて、郷愁を感じたりすることはあるのだろうか?

10代の頃(今でもそうだが)、中央高速を新宿へ向けて走ってきて、京王プラザが見えてくると(水道どおりのガスタンクあたりから)、ああ、戻ってきて嬉しいな、と感じたり、あるいは246をずっと上ってきて赤坂見附のところで(実際には金王神社を上ったあたりで、やっと帰ってこれたぜ、みたいに感じたわけだが、人によっては、向こうに山、(多分畑があって)その手前に民家、その手前に道路っていうような風景にほっとしたりするのだろうか。

ごく子供のころ、羽田空港に近づいて巨大なネオンが林立するところで妙にわくわくしたものだが、今でも首都高の高樹町から芝公園まであたりの光景にはわくわくするのだが(こないだ、パシフィコ行くのでひさびさに通って再確認)、この風景がもたらす幸福感は、万人に共通の感覚なのだろうか? 風景に依存するのだろうか、記憶に依存するのだろうか、それとも造形と構図に依存するのだろうか?

_ 記憶と時間

地球光補完計画

∀ガンダム MEMORIAL BOX 1 [DVD]

ここまで勧められて無視するのは無理だよなぁ。

その話とは直接は関係ないのだが、

ターンAガンダム I 地球光 [DVD](安田朗/菱沼義仁/富野由悠季/矢立肇/菅野ようこ)

特に劇場版(つまるところはダイジェストであり、テレビ風にいうと総集編ってやつ)だから目立つのだが、映像作品に向いたものと、文字作品に向いたものがあるとして、こういう作品は別の表現方法に向いてるんじゃないかと思った。その表現方法(メディア)が何かはわからないが。

---以下風呂敷がたためなくなったのでメモだけ

文字作品のよいところは、その不連続性にある。

たとえば、ある特定の単語、言い回し、描写、会話が気に入ったとする。そこで本を置き、いくらでも反芻して、敷衍させたり、想像したりできる。つまり時間軸がない。それをうんと利用しようと考えればコルサコフやバラードもそうか、マラルメも、構造を一度ばらばらにして、再配置できる。

ところが、映像作品の場合は、そうではない。

(音楽はどうだろうか? 少なくても純粋音楽の場合、もともと普通の人間には縦軸を完全に分離できないことから、また少し異なるように思う。構造を完全に把握するには、スコアの読解が必ず必要となるので、演奏はスコアのプロトタイプとしての意味しかなくなるからだ)

おお、良いシーン、と思って、そこでちゃかちゃかまきもどして見直したり、ポーズしたりというようなメタな見方が可能なのは、2回目以降ではないだろうか。しかももともと、劇場で1度見ることを前提としているので(ただし演劇と異なり、同時に複数個所で上映するという、多重性は考慮されている)、実際には寸断して見るとそれだけで印象が異なる。(追記:テレビ作品は、再放送というかたちで複数回の視聴を考えることができるし、現在はビデオの販売という形式も可能なので、この時点で元の作品からは切断されている)

いや、例外はあって、あらかじめモンタージュを意識、と書いて気づいたが、カメラ=万年筆というのは、写実だけではなく連続性に関するものを含むのかな、スナップショットであれば断続だし。

なぜ、ロメールは音楽を使わないのか(少なくても教訓シリーズより前は)とか。音楽が連続性を支えているからだと思う。なぜ、ゴダールがずらして入れたり、混ぜ合わせたりするか、とか。

いつでも映像作品を見るというのは、すさまじい集中力を必要とする。入ってくると同時に、音と構造と構図と位置と言葉と目線や物語、時間のようにその中に複数存在するベクトルといった要素を分析しなければならないからだ。

しかも、そのうち1つにでも異常があれば、そこを再検査することになる、とやっているうちにも次に進んでしまうし、バッファはせいぜい数秒分しか取れない(というか、他の人たちはバッファがおれよりでかいのかも知れない)。処理が追いつかなければ昏睡してしまうし、処理すべき内容がないと退屈して寝てしまう。そのバランスは難しいだろう。

それだけに映像作品には、あまりに大量のコンテキストは詰め込むことができない。

よく利用される手法は物語に神話を利用することだ。この場合、物語に関するすべてのコンテキストは既知のものですむため、観ている最中に意識する必要はない。手が自然にプログラムを打つように、手が自然に魚をさばくように、反復練習の結果として、無意識のうちに処理できるからだ。この手法を利用すると、映像から意識しなければならない要素を減らせるので、より精緻な見方を与えることが可能となる。ギャング映画や、ポルノ映画、西部劇、ミュージカルのような、大衆娯楽作品にこそ優れた映画が出現する道理だ。ひとつの理由として、これらの作品は、物語を意識しないですむため、批判の対象として正しく観察できることが考えられる。単純に分母が大きいのですぐれた作品が入りやすいということかも知れないが。


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