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日々の破片

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2008-04-06

_ 甘美なメロディーというもの

コルンゴルド&ローザ:ヴァイオリン協奏曲&ワックスマン:カルメン幻想曲(ハイフェッツ(ヤッシャ))

久々に聴いたが素晴らしい。

20世紀中頃に生き残ってしまった後期ロマン派作曲家にして、ハリウッド最初の本物の映画音楽家(今だとジョンウィリアムスとかを想像すれば良いかな)、アメリカに魂を売った亡命ヨーロッパ人、堕落した芸術家、とか毀誉褒貶の末、あまり幸せではない最期を送ることになったコルンゴルト(映画作家だとフリッツラングがちょっと近いかな。最後の作品(だと思った)のインドを舞台にした映画とか、尊敬は十分にされているもののどうにも奇妙なゴダールの軽蔑とか)の、甘美という形容詞を正しく反映したメロディーを、ハイフェッツがアメリカで生活する同時代人として丁寧にルバートしてレガートして震わせて啼かせて見事なものだ。なんと言っても第一楽章が好きで、最後のびっくりしかできない超絶的な第3楽章になるとちょっとどうでもよくなるが(チャイコフスキーのピアノ協奏曲もそうだが、いくら決まり事といってもプレストを最後に持ってくるのはなぁ、とチャイコフスキーも考えて悲愴になるわけだろうけど)。とは言っても、そこは映画音楽作家にして最後の後期ロマン派だけあって、最後の直前の部分でテンポが変わって甘い感じになるのがうまい(たぶん、狂乱の戦いに出撃する直前の甘い一時ってやつだろう。で、朝になるとウィリアムホールディンがアーネストボーグナインに向って、「いくぜ」とか言うのだろう)。で、うわーとガトリングガンが火を吹いて、切って落としておしまい。

あと、地味ではあるがロージャの作品が入っているのもポイントが高い。ロージャは、ハンガリー出身の映画音楽作家だが、独特の節回しのせいか、それとも僕の大好きなムーンフリートの映像の記憶のせいか(ロージャの音楽に関しては、大海原のイメージがどうしてもついてまわるのだが(リズムが寄せては返すからかも)、それは音響から喚起されるのではなく、ムーンフリートの映像から来ているように思う。そういえば、ムーンフリートもフリッツラングの作品だ)、勝手に雄大な音楽のように聴いてしまう。バイオリンとオーケストラのかけあいが、ちょうどフォックスがたったひとりで、英国政府軍の中に斬りこんでいくところみたいだし。

ムーンフリート [Laser Disc](スチュアート・グレンジャー)

(完全に幻の作品と化しているようだ。かっては六本木の映画館にかかったのにな)

_ RIP

char* t = "hogehoge";

唐突に思い出したけど、PC9801用にAmigaポートからNetHackを移植したことを思い出した。TurboCを使ったのだな。で、オプティマイズ全部かけたら、最後の最後で墓石が崩れて、おお、重複文字列のコンパイン(というような名前)とは、こういうことですか、と納得したり。

(NetHackの墓石といえばvoidさんがmixiでitojunさんのために建てていたが、あれはなんか心が和んだよ)

_ クラシックのCDを捨てられないわけ

いくつか、どうしても手元に残しておきたいCDがある。

バルトークのいくつかとかブーレーズのいくつかとかクセナキスのいくつかとか高橋悠治の全部とかは別にしてもだ。(あと、利口な女狐とか西部の娘とか指輪みたく、シナリオがついているのも別だけど。ボエムあたりになると音だけ残ってればいいや、とかもあるけど)

たとえば、ベロフのドビュッシー。

ドビュッシー:前奏曲第1巻&第2巻(ベロフ(ミシェル))

柴田南雄がすばらしい解説を書いている。コルトーのヴワル(voiles)の「帆」という解釈に対して、他の文献、実際のスコアから異を唱えて新たに「ヴェール」と読み直し、さらに他の紋切型な追随者をばっさり切り捨てて、しかし伝統に敬意を払いながら、しかもベロフのような(当時の)若手を力強く擁護する。

爺さんになっても、いつもその時点で最も正確に、時代的に正しいものは何かを見つけてきた作曲家ならではの解説だ。

しかしベロフのスタイルをコルトーやギーゼキングの基準ではかることは無意味なのだ。未来を背負う世代の新しい感覚と演奏スタイルの中に独自の良さを感じとり、また彼らの演奏によって、同じ作品に新しい面を発見することにわれわれの楽しみがあるのだし、本来演奏という行為はそのようにして人々と触れ合って来たのだと思う。

この人にとって、LPのライナーノート書きは単なる稼ぎ仕事ではなかったのだな、と思う。特に、このベロフのドビュッシーでの書き方はただごとではない。(ブレーズのライナーあたりだと、もっと軽くくだけた調子になるのは、読み手=買い手が、自分の側だという気安さもあるのかも知れないが)

と、ごく稀に、えらく力の入った解説があったりするからだ。

追記:ふと気になって、グーグルしてみたが、Wikipediaあたりにはさすがに両論併記かつヴェール主導にしているが、あとは帆が主流っぽいな。あと柴田が挙げていた沈める寺についても伝説が支配したままのようだ(というか、これについては楽譜を読まないと判断できないのだが)。というか、アマゾンの記載を見ると、ベロフのでさえ「帆」になっている。おれの手元のCDはヴェールになっているのに。


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