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日々の破片

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2011-11-13

_ ねじまき少女の続き

昨日の続き

用語と登場人物

この小説は、SFだけど、まったくハードSFではない(作者が悪いのか訳者が悪いのかわからないが、タイトルロールのねじまき少女の設計に関する設定そのものが出現時点とその後でぶれているくらいだ)。

むしろ僕は、~世界の頃や、クラッシュやハイライズの頃のバラードに近いという印象を受けた。つまり、わけのわからない状況に世界が変わってしまっているので、とにかく生存するためにある人間が自分の能力の及ぶ範囲でもがく姿を観察する、という小説だ。

結晶世界 (創元SF文庫)(J・G・バラード)

舞台は、22世紀あたりのタイはバンコク。世界は遺伝子操作された害虫とウィルスによって植物危機に陥っている。石油はとっくに枯渇していて、しかし代替エネルギーの転換に失敗したため(少なくともタイでは)配給制のメタンガスとゼンマイに頼っている。

植物危機に対抗できるのは、膨大な研究資源を持つ一部の種子メーカー(カロリー企業)だけで、彼らが作る米や小麦の種子を利用しない限り食糧を得ることはできない。ただし、タイは独自の遺伝子技術と種子バンクを持つため、カロリー企業に頼らず農業は自給自足している。しかし、農業を守るためほとんど鎖国しているため、ハイテク分野では遅れている。この路線を堅持すべきか、種子バンクを解放してカロリーメーカーのグローバル戦略に市場を開放するかで、世論は2分していつ内戦が勃発してもおかしくない状況にある。環境省は鎖国路線堅持派の巣窟で、主人公のうち2人(1組)は、環境省の実働部隊の隊長と副隊長だ。今日も違法輸入品の取り締まり(廃棄、焼却処分)に余念がない。

その一方で、行き過ぎた文明によって荒廃がもたらされたという思想が全世界を覆っているため、過激な宗教による暴動などが各地(タイは除く)で勃発している。アメリカではキリスト教原理主義+ラッダイトのような宗派によるカロリー企業に対する焼き討ちが、マレーシアではマレー系イスラム教徒による華僑に対する民族浄化が起きたりした。華僑の一部はタイに逃げ込み難民スラムを作っている。主人公の一人は、マレーシアの民族浄化運動で一族を皆殺しにされた男だ。

一方、日本では若年人口が異様に低下したため、バイオ技術を駆使して若年労働者の代わりとなるバイオロイドを製造している。ねじまきと呼ばれるこれらのバイオロイドは、人間と区別できるように、ぎくしゃくした動きと犬のような忠実さを遺伝子操作と教育による条件反射付けによって適用して利用している。企業活動には欠かせない存在だ。したがって、タイへ進出した企業もねじまきを持ち込む必要がある。しかし、タイでは遺伝子汚染を防ぐため、自国製以外の遺伝子操作製品の持ち込みを禁止している。そのため日本企業には特例を設けているのだが、そのうち一体が闇市場に流れて、タイ市内で働いている。

何しろ、前提が複合的なので、ここまでで、主要登場人物のコンテキストのうち、ジェイディー&カニヤ、ホク・センとエミコの分しか説明できていない。というわけで、作品を読んだ方が早い。

この作品の仕掛けは、主人公を次のように4つに分離している点にある。

人物民族(国籍)職業目的制約武器
ジェイディーとカニヤタイ環境省の実働部隊長と副長国家保安通産省による敵対、環境省内部での圧力民衆の支持と政治的正論
ホク・セン漢(マレーシア難民)工場の経理をはじめとした経営実務一族再興イエローカード就労者は非合法ビジネスノウハウと人生経験
アンダースン・レイク白人(北アメリカ)工場経営/カロリーマンタイが持つ植物の遺伝子サンプル獲得、アグリジェン社のタイ市場進出(独占)カロリーマンは非合法アグリジェン社
エミコ新人類(日本)娼婦ご主人様への奉仕/人類からの解放ねじまき少女は非合法、オーバーヒート、命令に対する反射的服従丈夫で素早い

このうち、見るからに異質なのはエミコで、他の3組は目的が極めてはっきりしていて、そのために知恵も使えば肉体も使って死にもの狂いで生きているのだが、ねじまき少女特有の制限がいっぱい加えられているため、最終的な目的である人類から解放を夢見てはいるのだが、目先のご主人様への奉仕という反射作用によってそれが単なる夢物語にしかならないというアンビバレンツを抱えている。

それを別にしても、見事にいろいろな角度を揃えたものだ。特に国籍を変えたのはうまい方法だと思う。仮に作家の力量がうまく書き分けができなかったとしても、読者が自分の知識でコンテキストをそれぞれに応じて補えるからだ。かくして、それなりに知的に状況を分析できる能力を持つ異なる立場の主役群によって、食糧とエネルギー(食糧は人類のエネルギー源だから、結局はすべてがエネルギーだけど)危機に陥った未来での生き延び方(ハウツーではなく、人間としての在り方についてだ)が示される。

しかし、それよりも、この作品が小説として成功している重要な点は、最初の3組の主人公が、すべて、成功するか失敗するかは別として、本来の目的を捻じ曲げたりあるいは放棄したりしてでも、いわゆる人間的な選択を最終的に下している(肉体的に不可能なため口先だけのものも含めて)点だ(かつ、実のところエミコを含め合目的だ)。ということは、この小説は実際には成長物語なのだ。これによって、それまでのすべての積み重ねがきれいに昇華されて、読後感が非常に良いものとなる。全然、SFじゃないと言えばそれまでだが、どんなシチュエーションにおいても成長した人間は良きものなのだという主張ならそれはそれで結構なことだ。

というわけで、満足度は相当に高い小説だった。

ねじまき少女 下 (ハヤカワ文庫SF)(パオロ・バチガルピ) ねじまき少女 上 (ハヤカワ文庫SF)(パオロ・バチガルピ)

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