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日々の破片

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2012-01-30

_ ヴァグナーの女王を読了

飯食いながらちまちま、しかしすごく楽しみながら読んでいたフラグスタートの自伝(聞き書きらしい)を読了。

実におもしろかったし、満足度も高い。

ヴァグナーの女王--キルステン・フラグスタート自伝(ルイ・ビアンコリ)

キルステイン・フラグスタートは、戦前(というのは湾岸戦争でもベトナム戦争でもなく、第二次世界大戦)にメトロポリタン歌劇場でワーグナー歌手として一世を風靡した大歌手で、戦後もそれなりに活躍した人。

僕が最初に聴いたのはショルティのラインの黄金でフリッカを歌っているもので、つまりはほぼ引退した大歌手を引っ張り出して脇役をやらせましたというやつ。何しろラインの黄金のフリッカは、世界を支配しようとぎらぎらしているヴォータンがラインの黄金を手に入れようと画策しているのを小耳に挟んで、「ちょっとちょっとあんた、その黄金を手に入れたらあたしのネックレスとか作ってよね」みたいなくだらないセリフを吐く役だから、どうでも良いといえばどうでも良くて、まったく印象には残っていない。

Wagner: Der Ring des Nibelungen (Ring Cycle Complete)(Hetty Plümacher)

これが、ヴァルキューレでは、ヴォータンの指輪奪還計画が、最初の前提から間違っていることを冷徹に指摘してしまう恐るべき大女神となるのだが、こちらになると時期の関係か、クリスタルートヴィッヒが歌っているからもう関係ない。

でも、先日、アマゾンMP3で、フルトヴェングラーがフィルハーモニアを振ったトリスタンとイゾルデを聴いて、おー、やっぱり大歌手ってのはすごいなぁとえらく惹きつけられた。

ワーグナー:トリスタンとイゾルデ 全曲(フルトヴェングラー(ヴィルヘルム))

これが、1953年頃で、もう高音が出ないので一個所だけシュヴァツコップが代わりに声を入れたというが、そんなことは無関係にそれは素晴らしい。

というわけで、あらためて「大歌手」という存在は凄いなと思ったのだが、はて、大歌手ってなんだ? と疑問に思う。たとえばデル・モナコは大歌手だが、20代のとき、バーの歌声コンテストで優勝したら、劇場主がやってきて、君、オペラをやりたまえということで歌手になったとか、つまりは、音楽学校で理論を学んだりするわけではなく、もう、生まれついての音楽家というやつだ。当然のように、1960年代以降は死滅してしまった人たちだ。

というところに、フラグスタートの自伝があることを知って、食指が動いたのだった。で、これが大当たりだった。読んで良かった。

フラグスタートは、1895年にノルウェーの音楽一家(たとえばバッハとかモーツァルトとかを連想するとそれほど外れではないが、違うといえば違う)に生まれて、オルガン弾いたり、歌を歌ったりして成長し、歌手になる。

カソリックの国では、教会のオルガン奏者にはお金が給付される(今もそうかは知らないが、政教分離則があれば無いように思うが)ので、10代からそうやって稼いでいるというのが、まずは目から鱗。最初からプロ(=金稼ぐ)なのだ。当然、いわゆるプロ意識というのがある。

で、成長したら普通の主婦になって音楽家から脚を洗おうとするのだが、周囲が才能を放っておかない。なるほど、そうなるのか。

で、都会(オスロあたり)の大歌劇場で歌うようになると、支配人が、教育を受けなさいと金を出して先生につける。

この先生が、ふむふむなるほど、と、英国王のスピーチの先生みたいな存在だ。

どうすれば大きな声を出せるのか、半分医学者、半分音響学者、半分体育教師、半分音楽家、加算すれば1人で2役みたいな存在で、なるほど、そうやって大歌手というものは練り上げられるのかと、これもおもしろい。

もっと、おもしろいのは、初出時に、「今では彼を良く言う人はあまりいないと思うけど」みたいな言い訳がつくとろこで、なるほど、彼女の歌手人生の途中から音楽教育はこういう怪しげな先生ではなく、もっとアカデミックな教育者に代わったのだな、ということが見え隠れする。

さらに、ヨーロッパに進出すると、プラハに勉強に行けと言われて、セル教授というおっかない教授のもとでいろいろ学ぶ。

セル? そう、もちろんクリーブランドを叩き上げたセルの若き(まだ30代だろう)姿なのだが、当時から大教授、アカデミシャンだったのだな。

ドヴォルザーク:交響曲第8番(セル(ジョージ))

(それでセルと言えばまずドヴォルジャックということになるのか。プラハに君臨していたのだから、そうなのだろう)

あるいはドイツの地方歌劇場のオーディションを受けに行くと(このあたりの1920〜1930年代の欧州の音楽家ビジネスのありかたは非常におもしろい)、そこには、クレンペラーという人がいてとか、次々の知っている名前が出てきて、それもやたらと興味深い。

そしてついにメトロポリタン歌劇場と契約する。

この契約というのがまた興味深くて、ほとんどの場合、共演したより高名な歌手が、別の劇場で「〜にXXXという歌手がいるのだが、あれは素晴らしい」という口コミネットワークのようだ。で、オーディションは厳正で、劇場に合う合わない、向き不向きなどが吟味されて契約にこぎつけたり、契約できたものの、次のシーズン以降は声がかからないなど、さまざま。

が、1940年にナチスがノルウェーを占領する。

彼女の夫(二人目、というかカソリックにしては1910から20年代に普通に離婚しているので、なるほど、北欧は文化度が昔から高かったのだなとわかる)は、お金持ち(資本家だ)なので、そこに何か謎があるのだが、少なくとも、若い頃は国家社会主義の政党に所属していたのは事実で、占領後に離党したのも事実、あとは謎で、ナチス撤退後に国家の敵として逮捕されてそのまま獄中死(病死だから病院で死ぬ)しているのだが、なるほど、占領された側の意識というのはなかなかただごととは違うのだなぁというのが実に良くわかる。敵側についてもつかなくても、無関心であっても直接の被害があっても。

(というところから、平和ボケの一症状としての占領された側に対する鈍感さというのがあるのだな、ということを知ってしまった)

さらに、アメリカのユダヤによるメディア支配というのはもしかして陰謀論じゃなくて事実なのかな? と思わざるを得ない(本人はそんな陰謀論の存在はまったく知らないだろうが)、メトロポリタン歌劇場復帰に至るまでの個人攻撃(1940年の帰国直前にも凄まじい罠というか個人攻撃もあるのだが、その当時は夫が国家社会主義政党の党員だったからわからなくもないが、夫の政治活動と経済活動、夫人の経済活動は全然別と考える、文化度が高い北欧の人に対して、妻は夫の付属物という感覚が高そうなアメリカの低い文化度とか、いろいろ語られることがない(何しろ、大歌手視点で一貫しているから)いろいろがうかがえて、これもおもしろい)。

戦後のヴァルターのリハーサルの押しつけがましさというか、口のうまさとか、他にもおもしろい点はたくさんある。

また、最後にはグルックやパーセルの作品をメインにして、その理由は特に書いていないのだが、おそらくトリスタンとイゾルデの録音から考えるに、まだハイCのような曲芸が生まれる前の歌劇だからなのだろう。つまり演技と歌で雌雄が決せられるというのが、大歌手の活動後期の作品としてふさわしいと本人が考えたのだろうなぁと想像するのだが、それにしても、特にグルックは聴いてみたくもある。

ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」全曲(メルヒオール/フラグスタート/ライナー)(1936)(ライナー)

(こんな、最盛期の録音もあるのか。ライナーが出来が気にくわないといってお蔵入りさせた録音があるようなことが本文にあったけど、おそらくこれのことだな)

と、欧州の歴史と音楽の歴史、歌劇と歌劇場の歴史(そういえば、戦前のスカラ座では、誰も拍手しないのが伝統なので、すごく混乱したと書いているが、本当なのだろうか。いや、嘘ということはないだろうけど、本当にイタリアの北というのは、イメージするイタリアとかけ離れているのだな)、いろいろな面から実に興味深かった。読後の満足度は、最近では親指ピアノ教本なみに高かった。


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