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日々の破片

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2013-11-23

_ フリーダム・ライターズを読んだ

ogijunお勧めシリーズのフリーダム・ライターズを読んだ。興味を惹かれてから3年くらい経っているのか。

黒人、アジア人、メキシコ人などのラテン系、白人の人種対立が激しい地域(銃で撃たれた人間を見たことがないものがいず、兄弟親戚の誰かしらが殺された経験の持ち主がほとんど)の公立高校に赴任した大学卒業したての教師が、意外なほどの生徒の幼さに気付いて(ということなのだと思う。すさまじい不良少年だと思っていたら、クラスで回覧されている落書きの似顔絵で泣き出すというエピソードが最初に語られている)、読書体験と日記を書くことで尊厳の確立による自立を支援する、とまとめれば良いのかな。

内容は、教師と生徒たちの日記のより抜き集という体裁をとっている。

結果的に、この教室の生徒たちは先生ともに4年間を過ごし(教師が同一クラスを卒業まで担当することは例外的なことで、そのためにいろいろ古参教師と戦ったりしたことが語られている)、ほとんどの生徒が大学かコミュニティカレッジへ進み、その後は教育関係の仕事に従事しているものも多いそうなので、成功と言えそうだ。ただし、ロサンゼルス暴動の4年後から8年後までの内容なので、今でも有効なのかどうかはわからない。でも基金は今でも生きているので、衰退してしまったというわけではなさそうだ。

読んでいて最初に感じるのは、あまりにも生徒が素直なことに対する違和感だ。文句を垂れながらなんだかんだとアンネの日記とか読んで、日記をつけているからだ。

でも、そのうち、それがアメリカのそのあたりの感覚なのかなと考えられるようになる。人間の特性として社会性が必要だとしたら、それは他者からの受容要求と他者に対する受容の2面から構成される。

素直というのは幼稚の同義語だから、それまでの受容のありかたが民族抗争であったりファミリー意識であったりセックスであったりと、実に直接的で幼稚なものでしかないところに、そこにまったくの第三者の日記(1つの単位が短く表現が比較的直接的(悲しければ悲しいと表現するというようなことだ)で読みやすいということと、その後の活動についての結果を見ると社会的なコモンセンスとして読んでまったく損がない)を読み、それを自分の状況に引き付けて考え、それによって受けた思いを日記として表現し、それを教師とクラスメートが受容するという、民族やセックスのようなある集団の中でのメンバーという受容のされかたから、何かを考えて記述したところの主体である自分という受容のされかたに変わることに(またそれによって変わることを目のあたりにしたりすることで)まったくの新しい世界のありように気付いたり目覚めたりしやすいということなのだろうと推測する。教師がそこまで考えたかどうかはわからないが、正しい教材を選択したということだろう。それにしても、予算が乏しいために、夜はホテルでアルバイトをしている(が、そのコネクションをいろいろ利用したりする)というのが興味深い。

生徒を大学に進学させると決めてからのくだりで興味深かったのは、大学での詰め込み型学習の予行演習をさせるというような記述だ。

なんか、ここを読んで、なぜ日本のゆとり教育が失敗したのか(失敗したということで総括されていると考える)わかった気がする。

アメリカでは大学で詰め込むところを、日本では中高でも詰め込まず、大学でも詰め込まないという構成になってしまったからなのだろう(当然だが、どういう制度だろうと意識的に学習するやつはいるから、そういうのはどうでも良くてマスとしての話だ)。

ゆとり教育より前は、中高で詰め込んで大学ではモラトリアムというのが問題となっていたはずだ(中高で詰め込むと視野が狭くなり過ぎて、しかも本来の学問をすべき場所でその視野の狭さが学問の深化につながらなくなる)。それよりも、中高という若い時分には生活体験などで視野を広げるための伸びしろを作って大学で、というところまでは良いとして、その後に大学でがっちり詰め込むべきところを(そうやってバランスを取るべきところを)、大学の遊園地化は解消されないまま(むしろ、その傾向を広げる方向で)進めてしまったのが問題だったのだろう。文部省の権限の及ぶ範囲が中高までだったのが敗因ではなかろうか(私学については大学の運営には強く口をはさむことはできないはずだ)。

フリーダム・ライターズ(エリンとフリーダムライターズ/田中 奈津子)

日記を読むといえば、小学低学年のころ、母親の知り合いからもらったユンボギの日記のことを思い出した。

ユンボギの日記―あの空にも悲しみが(李 潤福/塚本 勲)

李承晩時代の韓国の少年(中学生くらいだったような)がガムを売ったり靴を磨いたり、家出した妹を心配したり、父親は病気で母親はいなく、幼い兄弟が別にいるというような内容で、今でも覚えているのは、靴磨きだかガム売りだかの親方にノルマのことで叱られるというところがあって、ノルマとはなんだろうか? と疑問に思うとちゃんと訳注がついていて「このての言葉(ビジネス用語と悪口)は日本語から取られているものが多い」とあり、全然ノルマの説明ではなくて、親に聞いて理解したということと、靴を磨くのに唾をつけてツヤを出したら殴られたというようなくだりとか、戒厳令というのがあって夜になると外を歩いてはならないとか、なんか隣の国なのに(当時の)日本の20年前みたいだなぁと思ったことだった。祖父が戦後に復員してみたら仕事が消えていたのでしばらく虎の門で靴磨きをしていたという話を聞かされていたこともあって、なんとなく親近感もあったような。

アンネの日記も同じころ読んだが(子供用に選り抜きになっているやつだと思う)、イラストが印象的だった鉄条網越しの友人との再会の箇所がフリーダム・ライターズで語られていて驚いた。全然意識の中にも残っていなかったイラストを思い出したからだ。


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