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日々の破片

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2019-07-24

_ 日本の神話・伝説を読む―声から文字へ 読了

通勤中にちまちま読んでいた日本の神話・伝説を読む―声から文字へを読了。

昼飯食いに入った寿司屋のテーブルの下に置いてあって、ぱらぱら見たら、狂風記に出てきた市辺忍歯皇子とかも出てきてまあ読んでみるかとマーケットプレイスで購入したのだった。確かにあっというまに絶版になるのもわからぬでもない、天下の奇書だった。

「な……なんだってーーーー!」でおなじみのMMRによく出てくる無理くりな語呂合わせで謎を解いていくスタイルの元ネタは、この先生の学問なのか? と思わず考えてしまうスタイルである。

たとえば、

武埴安彦の妻がもつ『吾田媛』という名にも、物語的な背景がありそうである。

「仇をなす」というやや古い表現があるが、この「あだ」は中世までは「あた」という語形で用いられた。『万葉集』では、その「あた」に〈敵〉〈賊〉などの地を用いている。

(万葉集の引用)

「吾田媛」の「あた」は、この「あた」だと考えられる。彼女は、謀反を起こす前に、謀反の成功を願って(後略)

という調子で、出てくる名前、地名、事象、象徴的な物品、それぞれの言葉についての発音を中心にして意味を見出していく。

どう発話したかの傍証として万葉集からの引用もがんがんある。

のだが、そこには新たな発見があるわけではなく、そういうものだ、ということを延々と繰り返して物語を還元していくのであった。

記紀は、口承を文字化したものだからだ。

そこから、最初から文字で記述することを考えて作られた平安時代の説話との違いとして、いかに音韻と物語が表裏一体にあるのかが考察されるというよりも、その考察がほぼすべてだ。

なんだこれ?

でも、結構おもしろくて、結局全部読んでしまった。

それにしても、日本の人たちにはあきれるばかりだ。

以前見たNHKの歴史番組で、恋の歌しか日本には無いというのを知ったが、記紀も適当に引用すると、セックスの話しか書かれていないんじゃないか。子供用に訳するとそれなりに物語があるようだが、基本書かれているのは、天皇がどこそこにいってそこで見かけた美人にこなをかけて、思わずやってしまって子供ができた、というのばかりなのだった。引用される万葉集もすべてがすべて、あんたのことが好きだから夜になったら遊びに行くから待っててね、とかそんなのばかり。

日本人は、せっかく中国から借りてきた文字を使って何をしたかといえば、こんなことをしていたのだな。

そんなぐあいで、何かというと女性は陰部を細長いもの(矢だったり棒だったり)で突いて自殺する。なんだこれ? そもそもそんなことでは死なないだろうから、出産で死ぬことの表現なのか、それともまったく意味がないのか(それにしては、複数の物語で、陰部をついて自殺したり殺されたりするのが謎だ)、でも、この先生(学習院の教授らしい)はそこには興味はあまりなさそうだ(取り上げている記紀の話にはやたらと多いが、おそらくこの先生の興味の対象である名前(一番音と言い換えが頻出するからだろう)がしっかり書かれているのが、そのタイプの話だからに違い無さそうだ。

しまいには、

矢はたちまち美男に変身して、彼女と結婚しました。

そうして生まれた子は、富登多多良伊須須岐比売命と言い、別の名を比売多多良伊須気余理比売《これは、名の「ほと」ということばを避けて、あとになって改名したのです》と言います。

それで、その子を神の御子というのです。

で、その子はその後に天皇と結婚するわけだが、この名前の紹介がそのまま音韻として物語と等しく、つまり口承するにあたって、言葉から出る音で物語が補完され、記憶されて、それが複数の名前になる(そもそも、ほとはないだろといって改名するくらいなら、最初からそんな名前をつけるわけがなく、ということは、その名前は単に物語を説明するための音なのだ、という理屈となる)。

日本の神話・伝説を読む―声から文字へ (岩波新書)(佐佐木 隆)

でもまあ、おもしろかったのは事実だが、まともな文字を使った文章の出現には平安時代を待つ必要があったのであった。

_ 言葉と文字

言葉はその場限りで消えていくので、物語を繋ぎとめるために、音を使って(たとえば名前と筋を等しくすることで)いたのではないか、いやそうだ、だから記紀はそう読むのだ、というのが『日本の神話・伝説を読む―声から文字へ』だ。

それまで言葉だけだった口承のものがそうやって文字として定着させることができて、はじめて、論考が可能となる。フローとしての言葉ではない、ストックとしての文字となることで客観的に考証できるからだ。

日本だと、それが奈良時代ではまだできず、平安時代を待つ必要があった。そのくらい時間がかかるのだ。

でも、元に戻すのにはそれだけの時間はかからず、あっという間に、恋の話と、誰それのゴシップだけに戻せる(つまり、記紀と万葉集だ)。

ということをさんざん1960年代にテレビが猛威を振るい始めてから別の言い方で警鐘されてきた。

映画や音楽は繰り返し再生可能メディアなので、まだ文字に近い。

評論という場の有無がそれを示す。

一過性情報は言葉と同じだ。が、ストックされることで文字と同じとなる。

なるほど、オタクの人たちがDVDを買い、放送を録画し、なんども映画館に足を運ぶ道理だ。だから、彼らはそれについて、たとえば世界と彼女として、物語の枠外にある世界について語れるわけだ。文字かどうかはあまり重要ではない。繰り返し再生が可能かどうかだ。しかし、それは普通の人たちの楽しみ方ではない。普通の人たちはせっかくの映画を音楽をアニメを言葉のようにフローとして消費するだけだからだ。そこに残るのは万葉集と記紀の世界しかない。

おもしろい。


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