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日々の破片

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著作一覧

2009-09-22

_ ロボトミスト

図書館で借りて3/5ほど読んだ。明日中には全部読み終わるだろうが、もう書いちまえ。

時たま、英米人はとんでもない文字作品を産み出す。丹念な取材と考証、資料収集と解読、そういった地味な作業の末、歴史のある時点の社会とターゲットとした個人(あるいは組織)その歴史的な位置、現在の影響、そういったことを多角的に描くことで、特異現象だろうとは思えることから普遍的なものを産み出し、しかもそこに何がしかの感動まで付け加える。

そういった作品として、たとえばマイケル・ルイスのマネー・ボールというものがあるし、ウェンディ・ムーアのジョン・ハンターもそうだし、レヴィーの一連の作品もそうだ。

これらが単なる評伝では済まないのは、そこに社会的な(横の)広がりと、時代的な(縦の)広がりが含まれる点で、それが可能なのは膨大な考証と取材にあり、さらにそれを支えているのは英語の書籍という巨大マーケットの存在があるだろう。いずれにしろ、日本のノンフィクションライターの最も優れた部分でも、なかなかそこまでは到達できないように思える(たとえば、佐野 眞一とか、大宅壮一とか、これは筆力の問題ではなく経済の問題だろう)。

そして、ジャック・エル=ハイのロボトミストもそういったすごい作品の一つだ。

ロボトミーといえば、もちろん、いくつかの映画でその恐ろしさを知らされている。

女優フランシス [DVD]

電気ショックもおっかない。

チェンジリング [Blu-ray]

ロボトミストが追っかけるのは、メイフラワーの子孫にして、アメリカで最初のロボトミー手術の施術者、およびポルトガルの医師が名づけた白質切裁術をロボトミーというキャッチーな名前にした男、全米でも下から数えるほうが早かったワシントン州立医大をおもしろくてためになる授業で優秀な学生を集める学校に変えた男、精神病院に閉じ込められたまま一生を無為に死ぬだけの人々に普通の生活を与えるために奮闘した男、その名もフリーマンだ。

ロボトミストは、社会背景、歴史的背景、当時の医学の状況(アメリカ国内、欧米での状況の2段構え)、を立体的に構造化して、その中で主人公のフリーマンのロボトミーの普及(と、重度精神病患者の社会復帰への手助け、目的と手段が時々入れ替わる)に対する奮闘を見事に描いている。すばらしくおもしろい。

戦争は人手不足をもたらし、したがって、精神病院に閉じ込められたままで終わる人々が社会復帰できればそれは良いことだし、今よりも多少は人間の価格が安かった時代だ。5人に1人が社会復帰できれば、5人とも病院の中で死ぬよりベターという選択は確かに合理的で、その時代にはそれが唯一の方法であったということが理解できる。

その一方でアメリカでは精神分析医という職業が世界で最も発展し、巨大市場を形成することに成功し、そちらからは手術で精神を治療するというロボトミスト(精神外科)は(外科は通常完治を最終目的とする)市場的な脅威であり、それと同時に本当に脳の手術が治療なのかどうかの曖昧さ(健康な肉体に対して、仮に結果オーライとしても損傷を与えるという行為に対する倫理的な疑念)、敵も多い。

20世紀の最初の20年間は第一次世界大戦により医師があらゆる実験(731部隊の意味ではなく、かってないほど大量の負傷者や精神を病むものがあらわれたので、その治療は探求的にならざるを得ない)を行い、次の20年でその成果の刈り取りが行われる、そういった時代背景もある。

マスコミを利用した宣伝。一言も完治できるとも確実であるとも言っていないのに、なぜか読者は完治できるかのように信じ込まされる言葉のマジック、もちろん相対的なものなので次の瞬間には悪魔の技術として糾弾されることになるのではあるが。

著者は実にうまい書き手だ。本来はほとんどの時間をうっとおしくも薄暗い1930年代の精神病院の中で、ひたすら論文をあさっては患者を眺めているだけの人生と、そこに埋没している夢と野心(精神病院で一生を終える人々を社会へ復帰させる。そのことをもって自分の名誉とする)を読み物としても興味深い表現へと変えている。

それは、大学教授としての学生の興味を引き続けるためのさまざまなテクニック(両手で黒板に図を書く(ために朝から練習するとか)とか、生きた患者に体験を語らせるとか、いろいろ)、他の医師との交流(純粋な尊敬から多大な利益を引きだすこともあれば、欲得ずくのものもあったり)、子供への教育とか、ぎこちない恋愛からいきなり子だくさんとか、研究者を目指しながらも、外科手術という技術への憧憬とか(禁止されているはずが、いつの間にか自分で施術していたり)、人間としてのおもしろさを丹念にエピソードを拾うことで具体的に示しているからだ。

あるいはぽつっと一言だけで触れて終わらせているが、野心もあればずいぶん山っ気もある一方で、外科技術のほうを向いているだけのことはある誠実さを伝えるいくつかの事実、たとえばコロンビア特別区医師会の会長に就任したときに、白人以外の医師に医師会の門戸を開く(50年代のことと読めるから、非常に早い時期なのは間違いなさそうだ)ために尽力したこと、などを語ることで人物像の厚みを増すことに成功している。

個人的に、特にこの本が興味深いのは、主人公の指向が、あくまでも技術に向いているところだ。フロイトに始まる精神分析という方法ではなく(現実問題として精神病院に収容されている重症患者には役に立たないということもあっただろうが――というのは、結局は医師と患者の信頼関係の構築によって治癒されるのではないかと判断するところなどは、調べるべきことは調べた上で結論しているように読める)あくまでも外科的な治療で回復を目指すという点と、学生の興味を惹く授業を行うための戦略や、自著をよりよく売るための表紙へのキャッチコピーの掲載とか、学会の展示場での展示方法であるとか、何をやるにも、とにかく徹底している点で、興味深いが見習えそうにもないなぁというあたりとか。

技術史、科学史を描く優れた本として、これはお勧め。

ロボトミスト 3400回ロボトミー手術を行った医師の栄光と失墜(ジャック エル=ハイ/岩坂 彰)


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